2011年12月31日土曜日

今年もありがとうございました

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写真はハロウィンの仮装から。


今日は2011年の最後の日。
2012年最初の日の前日。


主は冬休みに入りましたが、私は今日もまだ仕事。
大晦日なんて嘘のような、慌ただしい年の瀬です。


今年は3月の大きな震災、そこから今も続いている原発事故の影響と、
今何を振り返っても、全てそこに行き着いてしまいます。
この正月におめでとうと言えない人たちがたくさんいることを思い、
仮設住宅や避難先にいる人たちを思い、
何もできないけれど、やはり心をそこに寄せています。





主との生活は、この2ヶ月程をほぼ完全に二人きりで暮らし、
今までにはなかったその状態はやはり特に私に変化をもたらし。
いまだに変わることができる心の有り様や自分のマゾヒズムは、
私にはとても不思議で、瑞々しいと感じられるものでした。


この生活になるにはやはりそれなりの理由があったからで、
こんな無茶な手段をとったとも思っているし、
その前に気持ちを整理するために短編小説並みの文字数で書き散らした
色々な文章もあるわけですが。
もう少し、人様にお見せできるレベルの文章にしてから出すことにいたします。


お互いのことだけを最優先にして、互いにだけ甘えて
我が儘もしながら暮らせたから、二人ともそれぞれ大変だった時期を
上手に乗り切れたような気もします。


沢山の方に不快な気持ちをさせてしまったことをお詫びしますが、
限られた時間、できることも限られている中で
私たちは本当に余裕がなかったとご理解ください。



さあ、今日一日。
主の腕の中にたどり着くまで、もうひと頑張りしてきます。



皆様にはどうぞ良い年をお迎えください。



 

 

2011年12月25日日曜日

Season's Greetings

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Dear all,


Happy Holidays!




この書き出しも4度目。
変わらぬクリスマスを迎え、お正月はどうしようかと話せるそのことが
何よりも幸せなことなのでしょう。


主も私も忙しくとても疲れているので、
大変申し訳ないのですが、いくつか頂いたお誘いも全て辞退させて頂いて
ただ静かにゆっくりと、互いに甘えて過ごしています。


皆様にはどうか素敵なクリスマスを。



愛をこめて。


akira
shiori


 

2011年12月3日土曜日

アイコン

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拘束からも苦痛からも解放され、穏やかに抱かれて満ち足りる至福の時間。


少し前までの私の乱れ様をからかい、さらに淫らな誘いを口にする主に、私はその体温に包まれた安心感から、うっとりと答えた。


・・・ご主人さまが望まれるなら、何でも。お好きなように


「そうするよ」と笑って髪を撫でてくれる主。見上げるととても楽しそうな顔をしているから、なんだか悔しくなってふくれながら言葉をついだ。


・・・すごいですよね。3年前の私なら、絶対こんなこと言わなかったです


「いわゆる『調教された』かな?w」


・・・悔しいけれどそうかも知れない


「はは^^これが楽しいんだよね」


・・・私は楽しくないやい
調教って言葉があんなに大嫌いだったのにね
なんでサディストとマゾヒストがつきあうときには必ず主従で、することはなんで調教になっちゃうんだって思ってたのにね


ふて腐れ気味の私に主は何も動じず、優しく答える。


「言葉は言葉なんだけどね」
「要は自分の好みに仕立てていく楽しみなんだよ」



3年以上前のこと。
「自分に仕えろ」と主が私に言っていた言葉は、なんとも可愛らしいことに、自分好みの女になってほしい、奴隷が主人に仕える様に何の疑いもなく信頼してほしい、そして愛してほしいという意味だったことを思い出す。


「はい、ありがとうございます」という言葉を最初に叩き込まれ常にその言葉を繰り返させられ、そうして時間をかけてできたのは、昔よりもずっとよく「ありがとう」を口にする私。


その変化は主と一緒でない時の私にも勿論自然に影響してる。
誰に対してもありがとうとたくさん口にするようになって、感謝することがたくさんあるのに気づく。
順序が逆でもいい。これが調教というものであってもいい。
だってこれは主が私に与えてくれた善いものの一つ。






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主の言葉はまるでアイコンのよう。


調教と言いつつ、それはまるで願いのよう。
私を奴隷と呼ぶ言葉は、まるで正反対の意味を持つかのよう。


そして私も奴隷の証の首輪や枷をつけていながら、主以外の誰にもそんな扱いをさせない。
自分が主の奴隷だと自覚しているくせに、同時に恋人として掌中の珠のようにこの上なく大切にされていることも十分わかってる。


マゾヒズムという身の内に抱える矛盾に慣れた私には、それを語義ではなくアイコンとして捉えた主の言葉の理解が容易かったのかも知れない。
最初こそ戸惑ったものの、不思議な程すんなりとこの生活に私が馴染んだと主は言っていた。






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以前、主と私のもとに何人ものM女さんがこのブログを読んで苦しい胸の内を打ち明けに訪れてくれていた頃、私は自分の書く言葉にとても臆病になっていた。
ひっそりと主への恋文として書いているものが他人の何かに触れてしまうことは、私には泣きたいほど恐ろしく、けれど貴いものだったように思う。


なのに最近は、他人に会えば会う程、私が綴ってきた言葉が生んだ誤解を解くことに必死になっていた気がする。





閉じ込められて主のことだけを見ていればいい今は。
主がそれを望み私もそれを望んだ今は、もう逆に言葉くらい自由でいてもいいかなと思う。
アイコンのような言葉、それを理解する私、どちらも人から誤解されるなら誤解されるままでいい。
しばらく休んでいた後、閉じ込められた途端に文章を書けるようになったのが、何より自分も楽になった証拠。


主と二人でいれば誰にも迷惑をかけないで済むし。
もうしばらくこのまま、閉じ込められて心自由なままでいようと思う。





shiori、IM blocked。自宅もno entryです。
親しい人たちにはご心配をおかけし、また不快な気持ちにさせて申し訳なく思います。
どうかご理解ください。