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2013年3月12日火曜日

「あの日」

「あの日」としか言いようがない、あの恐怖と慟哭の日からもう2年という時間がたっているのですね。


2011年3月11日。
そう「あの日」



あまりの揺れの激しさにもう家具を抑えることも諦めて、ただ落下物の危険のない部屋でドアを開け放って座り込んだあの時。
一瞬揺れがおさまった隙に玄関の扉を開き、他の部屋へ移り、テレビを点けた瞬間に映し出された遡上する津波とそれに飲まれる街、田畑、車、人の映像。
積んであったCDや本が崩れ食器戸棚の中でガラス器が落ちているのに気付きながら、私はただ冷たい床にへたりこんでいた。


あのとき日本中が、何千ものひとたちが死に呑まれていくのを見ているしかなかった。
目の前で、テレビの前で。


もう声も出せず、座り込んだのは余震で不安定だったのではなく、もうこの土地に二度と今までの日々はないんだ、それは私たちにも全く同じで、全てがこの瞬間から変わり今までの日常なんてものはなくなる、昨日という日にもう決して戻れないという、足下が崩れるような恐怖で足が震えていたから。


やがて遠く近くから救急車の声が聞こえ、普段の午後なら静かな通りが帰途を急ぐ人の流れのどよめきで満ちはじめ、離れた丘の中腹の建造物から火の手が上がるのが見えた。
その時期としては奇妙に明るくキラキラした夕暮れ手前の時間、やがて日が落ち寒さと闇が交通網とライフラインが寸断された東日本にも降りてくることを思い、その中の恐怖を想像し、慄然としていた。


夜。救助を阻む闇と余震。開きっぱなしにしていたUstreamとTwitterから次々と悪い情報が伝えられる。数百の遺体が見つかったけれど回収に行けないという報道の現場を想像したときに、この災害の全体像の荒涼を思い浮かべ、ただ戦慄した。(実際にはそのときの想像よりもはるかに大きな被害だったわけだが・・・)
そしてまだ日付が変わったばかりと思っていた時間、未明に長野新潟県境でも地震が起こり、そちらでも死者が出た。


夜が明け、情報を集めながら行方不明の友人知人の名前を必死で探し、ようやくつながるようになった電話で遠い家族親戚への短時間の安否の確認。そして被災地の不自由と悲しみにくらべたら大したこともないと節電し、家にあったもので質素な食事をととのえ、まだ救助を待つ人が一秒でも早くたすかりますようにと祈り・・・その後、まだ余震に慣れてさえいなかった日に、福島第一原子力発電所の事故が起きた。


それからの恐怖はそれまでとは質が違ったし、受け手によって本当に見えているものが違うだろう。
流言飛語と罵詈雑言の中でも、謙虚なるこの国の良心たちは静かに呼吸を続け淡々とやるべきことできることを続け、ようやく最近になってその出口が見え始めたように思う。
けれど出口不要の視点の持ち主がいる様子もまた事実。


「あの日」から2年。2万人近くの人が死亡または行方不明。30万人以上の人が避難生活を続けているという実感を私は本当に持っているか。


この2年間、ずっとかわらず主はそばにいてくれたけれど、ことがこの地震からの話になる度に、私たちは何度も言い合いをしてきた。
2年前毎日怖いと泣いていた私を支えてくれたのも主なのだけど、2年前までの私にはもう戻れなかった。
あのときの恐怖は確かに私を蝕み、被災地に住んでいないのに心を乱すことで自分に苛立ち、それは主の些細な冗談にさえ牙を向けさせた。
放射脳という人たちも心を病んでいると思うけれど、私もまったく違う形で病んでいるのだと思う。
被災すらしていないのに。


「あの日」から丸2年。三回忌。
14時46分の黙祷の後、2年前津波が押し寄せていた時間の間、亡くなった方を悼み、私よりもっと悲しい涙を流しているその家族友人たちの嘆きが少しでもやわらぐよう祈った。


テレビなどはもう見ない。文字の情報で十分。
あの時の映像は2年前に見たのだから、もう見る必要もないだろう。
ただ静かに祈る一日。


明日からも祈り続けようと思いながら、今夜も主に抱かれて眠ろう。






 

2011年4月7日木曜日

ゆっくりと。

110406_01.png





何も書いていなかったわけではないけれど。
書いては寝かせている文章だってあるのだけど。


でもこういう時は、アップロードのボタンを押すのが
ちょっとしんどい。
自分の気持ちや考えを話すこと自体が、
多分ちょっとしんどいんだろうな。


だから、ゆっくり、ゆっくり。
支えてくれる主に甘えて、二人きりで過ごす。


今夜のお酒は浦霞。
ふわりとまろやかで芳醇な米の滴。
ゆっくりと味わいながら、この酒の地を思う。





地震による直接的な被害がなかった場所に住む人間が
日常の気持ちを取り戻すのは、とても大切なこと。


これ以降、このささやかなブログも、できるだけいつもの
The Red Roomに戻していきたいと考えております。


今も何も終わっていないことをしっかりと肝に銘じながら。


静かで豊かな時間が、全ての人に早くもどりますように。



 

2011年3月18日金曜日

跳ねろカンガルー

刻々と状況がかわっていく今、起きていることについて書いても仕方がないと思うから。


ただただ、身を賭して人々をこの国を守ろうとしてくれている方たちに
強く強く祈りを捧げています。


そして今もたくさんの方が寒さと恐怖に震えていることを思い、
亡くなった方の無念を思い、
自分にできることを今日も考えます。
電気をできるだけ節約しながら普通に暮らし、元気を取り戻し、どうしたら被災地の邪魔にならないか考え、わずかな金額だけど信頼できるところにお金を託します。




kangaroo1_470.png




友人のLuvさんが数日前に、売り上げを義援金にするとしたカンガルーの着ぐるみを売り出しました。


写真を見た瞬間、あまりの愛らしさに、これはとにかく買っておこう!(着られないけど!w)と思い。
その翌日、たまたま彼女に用事ができたので、ちょうど良いタイミングだと主ともども彼女のお店を訪ねました。


カンガルー姿の彼女の可愛いこと。
その場で私も買って「今度首輪やカフを外してもらったときに絶対着る」と言うと、
彼女は「(首輪が)無くても、スレーブには違いありませんからw」と答えてくれました。
「そうよね、飼い犬が飼いカンガルーに変わる程度よね」と言ったら、
主は横で大笑いしてた。




kangaroo pop470



彼女は既に、このカンガルーの売り上げでリンデンベアを購入している履歴を、自分のブログのこちらの記事で公開しています。
彼女のように考えられている多くのクリエイターさんの行動もそこで紹介されています。


インワールドからの募金については色々な意見があることでしょう。
主と私の意見は、彼女の意見とまったく同じです。
リンクした記事の最後に彼女の誠実な文章で綴られていますので、ぜひそちらもお読みになって下さい。
彼女のお店“Luv's Free Shop”はこちらから。



 

2011年3月14日月曜日

48時間が経って

「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」について(第15報)

今回の地震について、詳細に解析した結果、地震の規模(マグニチュード)を、8.8 から、9.0とします。
(平成23年3月13日12時55分 気象庁発表)



まだたくさんの人が瓦礫の下で、取り残されたビルの上で、救助を待っている。
30万人以上の人が寒さや空腹に耐え、余震と津波の恐怖と闘っている。
自衛隊、世界中からの救助隊が、必死で今活動を続けてくれている。
原発の中、生命をかけて戦ってくれている人がいる。


どうか、どうか。




安全なところにいる私たちは、少しでも日常に戻ろう。
亡くなられた方を悼み、その恐怖と無念を思い、冥福を祈りながら。
被災地に電気を送るために、情報源となるもの以外の電源をできるだけ落として、みんなでヤシマ作戦だって笑おう。不便を不安に変えないために。


怖かったら怖いと言おう。怖いのは私一人でもあなた一人でもない。
震源から遠く離れた私も、今もわずかな余震でも泣きそうに怖い。
気が昂っているのか、すぐに涙が出る。


身近な人に支えてもらい、身近な人を支えてあげよう。
世界中からの祈りの声に支えてもらおう。
こんな時にも暴動も起きず、助け合い譲り合う思いやりを持つこの国を誇りに思おう。


それはきっと、これからの長い努力のために必要なこと。
これから先できることはきっと誰にもあるから。
今安全な人は、安全であることに罪悪感を感じたりはせずに、それぞれに日常を過ごして体力や気力を保とうよ。


節電広告、これはとても素敵です。
誰でもできる被災地への協力。


地震直後から笑顔のイラストを描き続けている漫画家の井上雄彦さんと
宮城県出身の作曲家菅野よう子さんのコラボレーションです。
「きみでいて ぶじでいて」





ぶじでいて。




3月19日午前追記。「東京の人間の電力需要を満たすために福島に原発がつくられている事実」(茂木健一郎氏のtweetより)を私は全く考えていませんでした。福島で現在決死の作業が続けられている原発は東京電力のものだとわかっていたのですから、それが関東の電力の為であると本来きちんと認識できていなければならなかったことです。
不見識を恥じ、東北の皆様に深くお詫び致します。関東の住人の誤解の一つの典型として、あえて本文は修正せず、この追記によって訂正の意を表させていただきます。申し訳ございませんでした。

2011年3月12日土曜日

東北地方太平洋沖地震

気象庁は11日、東北地方太平洋沖地震のマグニチュードを8・8に再修正した。
これは国内最大規模の巨大地震になる。
(2011年3月11日17時42分 読売新聞)


今この瞬間にも悲鳴をあげて机の下に隠れ、震えている人がいる。
救助の手を待っている人がいる。
私も余震に怯え、まだ怖くて家の扉を閉めることができません。

主とはさっきようやく連絡がとれました。

どうかどうか、どうか、皆様がご無事でありますように。
皆様の大切な方がご無事でありますように。
何をできるか考えながら祈ります。