「あの日」としか言いようがない、あの恐怖と慟哭の日からもう2年という時間がたっているのですね。
2011年3月11日。
そう「あの日」
あまりの揺れの激しさにもう家具を抑えることも諦めて、ただ落下物の危険のない部屋でドアを開け放って座り込んだあの時。
一瞬揺れがおさまった隙に玄関の扉を開き、他の部屋へ移り、テレビを点けた瞬間に映し出された遡上する津波とそれに飲まれる街、田畑、車、人の映像。
積んであったCDや本が崩れ食器戸棚の中でガラス器が落ちているのに気付きながら、私はただ冷たい床にへたりこんでいた。
あのとき日本中が、何千ものひとたちが死に呑まれていくのを見ているしかなかった。
目の前で、テレビの前で。
もう声も出せず、座り込んだのは余震で不安定だったのではなく、もうこの土地に二度と今までの日々はないんだ、それは私たちにも全く同じで、全てがこの瞬間から変わり今までの...