2011年4月30日土曜日

変化

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主が楽しいこと、私が苦手なこと。


今までだってさせられたことがない訳ではないのだけど、
やっぱりそれを私はとても嫌で。

なるべくそうされないように、
私は知らん顔で主の興味を別のことに逸らしてみたり、
ごまかしてみたり、こそこそと逃げ回ったり。
それを多分主も知っていて黙認していると思う。


だけど主はそれを私にさせる良い機会を慎重に伺っていて。
泣いても喚いても、その夜、私にはもう逃げ道がなかった。
もう抵抗の術もなく、諦めてそれを受け入れ、主の前で醜態を晒した。


その後の主の言葉。



「このチャンスを待っていたんだよ」
「一番恥ずかしい事をさせるの」



・・・やっぱりこれは苦手です。はずかしい・・・


「それを楽しみにしていたんだよ」
「そうやって追い込むのが、一番のサディストの楽しみ」



・・・いやだ


「だから楽しいんだ」
「ふふ、良いおもちゃだ」




・・・いやだと思うのは嘘じゃない。

だけどこうして追い詰められて
これに馴らされて
嫌だけど好きにさせられて

きっとその内に病み付きになって
中毒の様にこれ無しではいられなくなって


・・・そうして自分からはしたなくねだるようになる。


私はきっとそういう淫らな奴隷だ・・・


「ふふ」
「そのねだるのをまた蔑んでやるのも、矛楯してるけど楽しみなんだよ」



・・・・はい、わかります・・・




多分、主なら。
3年前の私と較べて、こんなことをねだるようになったかと
私がこんなにはしたなく淫らになったかと
そう笑ってくれるだろう。


私の変化は自分の気持ちなんかはるかに越えていて、
あんなに奴隷指向のなかった自分が、
どうしてこんなになっちゃったんだろうと
私は時々不思議に思う。


はずかしさの余り抵抗どころか、ぶち切れて逆上したりしていた私が、
今は恥辱にうっとりと溺れ、もっともっとと求めては涎をたらす。


私の中でどれだけ主の存在が大きいのか、
この変化を見れば、推し量るどころか手に取る様にわかるだろう。
それは主には不快ではないと思いたい・・・。




・・・ねえ、笑ってくれますか?
私がこんな風になったことを。


「そうだね、内心はよろこんでる」
「って、バラしたらだめじゃん、俺w」



・・・*^^*


「でも楽しんでるのには違いない」





そう、こんな所まで見せられる様になったか、
こんなことまでするようになったかと、
私はそれを主に感じていてほしいと思う。


自分に仕えろ、自分だけを見ろと言い、
自分の言うことが絶対だ、自分がお前の世界の中心だと言い、
私に服従を要求した主。


主と従がファンタジーだと骨身に沁みる程よくわかっていた私たちが、
それでもその甘い幻想を大切に大切に育んできた。
こんな形でだけど、心を深く許し合うようになり、
相手を受けとめるのと同じだけ自分を見せられる様になった変化と同じ。





「なるほど。そうだね」



・・・そう、ご主人さまが喜んで楽しんでくれるから
だからこんなことをするし、
させられたいし、


もっとひどいことをさせられたいと思う。


そうして愛し愛されていたいと思う。


 


 

2011年4月26日火曜日

もう一つのThe Red Room ―主のお気に入り―

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主の撮ってくれる写真と共に、私が好きなことを好きな様に書き散らすこのブログ。
私にはいくつかの小さな不満がありました。


最初に主が撮った写真を私に送ってくれるのですが、それはサイズも非常に大きなもの。
それを私が掲載の為に縮小し、さらにトリミングした時点で、もう最初の写真の美しさが伝わりにくくなってしまうこと。
主の世界観は、トリミングする前の主の構図そのままの方が伝わるので・・・それが私は残念でした。


あとは・・・当たり前ですが、私が完全な見る側になれないこと。
書き手には書き手の楽しみがありますが、主の写真についてだけは、書き手側からの楽しみ方しかできないことが不満でした。




先月、主が、新しく写真置き場を作ってくれました。


このブログで私が何を書くのも自由なように、その場所は完全な主のお楽しみ。
全てが主の世界。


恋人としての甘い写真もあるけれど、奴隷としては、私はただの被写体。
ここにある私のアバターの体は、私のものであって、私のものでない。
主の描く世界のために存在し、主が晒して楽しむ、自分の従順な所有物。
性愛も矛盾も飲みこみながら、ここで穏やかに暮らす私たちの一面。


よろしければどうぞご覧ください。
http://www.koinup.com/akira3/
これはもう一つのThe Red Room。主のお気に入り写真集です。


主多忙のため、コメントのやり取り等、そちらでのコミュニケーションまではなかなか手が回らないかと思いますが、このブログ同様可愛がってくださいませ。
何卒よろしくお願い申し上げます。



  

2011年4月22日金曜日

前夜の痛みのまま

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前夜の痛みが残っているまま抱かれるのが好き。


ダンサーが筋肉痛の体をさらに酷使して鍛えていくように、
マゾヒストは痛みにさらに痛みを重ねられて、
より深く苦痛を受け入れられるようになっていくのかも知れない。


手で鞭で打たれた場所が鈍く痛む。
それはなんとも気怠く、やるせない感覚。
いたぶられた場所は薄皮でも剥けたのか
過敏になり過ぎて、衣服が擦れるだけで
疼痛と快楽の疼きを呼び起こす。
ほら、やっぱり私は痛みと快楽の区別がつかない。




もう今日、私の体で遊んでもらっても。
これだけ痛みが残っていれば、いくらも我慢できはしないのだけど。


前夜には言わないで耐えられた
「お許しください」「たすけて」
それも多分すぐに言ってしまうのだろうけれど。


でも前夜よりもっと主に楽しんでもらえるように
もっと淫らになれる。


抑えていた欲望が表れるどころではなく、
音を立てて釦が弾け飛んだ様に顔を出す。
はしたなく唇をひらき犬のように舌を垂らし、
淫らに主の上で下で腰を振れる。


痛みに少ししか耐えられないことを
こんな風に狂ってしまう体を


「ごめんなさい」と謝りながら。


痛みが残ったまま抱かれるのが好き。


 

2011年4月10日日曜日

痛みと快楽の混乱

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写真と違って全然緊張感のないお話。


この前、痛みについて主と話していた時のこと。
主が面白いことを言っていた。


「僕の勝手な理論なんだけど」
「痛いってのは、その痛くされた場所が痛いでしょ」
「でも、痛いと感じるのを命令してるのは頭でしょう?」


「痛みを加えてるときに、どこかに快感を与える」
「そうすると、気持ちいい場所も気持ちいいけれど」
「それを命令するのも頭でしょう?」


「だから、そうすると命令系統がいい具合に混乱してw」
「痛いのか気持ちいいのかわかんないけど、なんかこう陶酔していくみたいな」
「そういう現象が起きてるのかとw」





・・・いい具合に混乱ってどういう日本語w

でも、痛みと快楽って、直接的な快楽の刺激がなくても
痛みを我慢させられていること自体が精神的には快楽になったりするもん^^;


こんなに辛いことを耐えてる、ご主人さまのために我慢するって
受け入れることで脳内自己満足しているというか^^;


「うんうん^^」


あとは単純に、痛いって叫んだり、泣きわめいたり、
そういう大声を出して吐き出すのは、何らかのカタルシスがあるし
そこまで翻弄されていることにうっとりするのは、
苦痛や屈辱を受け入れる陶酔の快楽と同じなんだろうなあ


「なるほど^^」





面白いもの。
多分大抵のマゾヒストは私と同じで苦痛をそのまま快楽には感じないだろうし、
だからこそこうして、苦痛を脳内で快楽に変換する理由づけや回路が必要になる。


そうして混乱していく命令、混乱する体、混乱する心。


苦痛を快楽に変換する私は、同時に主が与えてくれる快楽を苦痛に変換してしまう。


ぐちゃぐちゃに混ざり合って、ただ主の体と言葉と行為だけでいっぱいになって
どうしてほしいのか、どうしてほしくないのか、そんなことが全然関係なくなって
ただ主の思うとおりにあえぎ、声をあげるだけの体になりたくて。
でもそんな所までは私もなかなか行かれない。


ただ主が楽しむためだけのものになりたいのに。





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・・・ご主人さまは何か私に希望とかリクエストってないのですか?


そう私が訊ねると、主は少し考えて、にっこり笑ってこう言った。



「そうだな。たまにでいいから」
「ど淫乱な姿を見せろ」



・・・もう十分淫乱だと思う


「命令」


     ・・・はい



 

2011年4月7日木曜日

ゆっくりと。

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何も書いていなかったわけではないけれど。
書いては寝かせている文章だってあるのだけど。


でもこういう時は、アップロードのボタンを押すのが
ちょっとしんどい。
自分の気持ちや考えを話すこと自体が、
多分ちょっとしんどいんだろうな。


だから、ゆっくり、ゆっくり。
支えてくれる主に甘えて、二人きりで過ごす。


今夜のお酒は浦霞。
ふわりとまろやかで芳醇な米の滴。
ゆっくりと味わいながら、この酒の地を思う。





地震による直接的な被害がなかった場所に住む人間が
日常の気持ちを取り戻すのは、とても大切なこと。


これ以降、このささやかなブログも、できるだけいつもの
The Red Roomに戻していきたいと考えております。


今も何も終わっていないことをしっかりと肝に銘じながら。


静かで豊かな時間が、全ての人に早くもどりますように。