痛みと快楽の混乱
写真と違って全然緊張感のないお話。
この前、痛みについて主と話していた時のこと。
主が面白いことを言っていた。
「僕の勝手な理論なんだけど」
「痛いってのは、その痛くされた場所が痛いでしょ」
「でも、痛いと感じるのを命令してるのは頭でしょう?」
「痛みを加えてるときに、どこかに快感を与える」
「そうすると、気持ちいい場所も気持ちいいけれど」
「それを命令するのも頭でしょう?」
「だから、そうすると命令系統がいい具合に混乱してw」
「痛いのか気持ちいいのかわかんないけど、なんかこう陶酔していくみたいな」
「そういう現象が起きてるのかとw」
・・・いい具合に混乱ってどういう日本語w
でも、痛みと快楽って、直接的な快楽の刺激がなくても
痛みを我慢させられていること自体が精神的には快楽になったりするもん^^;
こんなに辛いことを耐えてる、ご主人さまのために我慢するって
受け入れることで脳内自己満足しているというか^^;
「うんうん^^」
あとは単純に、痛いって叫んだり、泣きわめいたり、
そういう大声を出して吐き出すのは、何らかのカタルシスがあるし
そこまで翻弄されていることにうっとりするのは、
苦痛や屈辱を受け入れる陶酔の快楽と同じなんだろうなあ
「なるほど^^」
面白いもの。
多分大抵のマゾヒストは私と同じで苦痛をそのまま快楽には感じないだろうし、
だからこそこうして、苦痛を脳内で快楽に変換する理由づけや回路が必要になる。
そうして混乱していく命令、混乱する体、混乱する心。
苦痛を快楽に変換する私は、同時に主が与えてくれる快楽を苦痛に変換してしまう。
ぐちゃぐちゃに混ざり合って、ただ主の体と言葉と行為だけでいっぱいになって
どうしてほしいのか、どうしてほしくないのか、そんなことが全然関係なくなって
ただ主の思うとおりにあえぎ、声をあげるだけの体になりたくて。
でもそんな所までは私もなかなか行かれない。
ただ主が楽しむためだけのものになりたいのに。
・・・ご主人さまは何か私に希望とかリクエストってないのですか?
そう私が訊ねると、主は少し考えて、にっこり笑ってこう言った。
「そうだな。たまにでいいから」
「ど淫乱な姿を見せろ」
・・・もう十分淫乱だと思う
「命令」
・・・はい
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