
膝をついている写真がほとんどだということに気がついた。ブログを見直してみても、まだ使っていない写真を見ても、跪いていたり、手をついていたりするものばかり。
だからと言って、私が普通に座ることを禁じられているわけではない。
こうして一緒にビーチの椅子に座り、私は足を投げ出していることもある。
前の記事の時間の中で、主はこう言っている。
「凄い数のHUDでしおりを拘束してるんだよ^^」「そう、だから自由だけど自由じゃない」「僕の許す範囲だけでいるんだよ」
貞操帯を着けさせられ、それを不可視化させるのも許されなかった。
服を着られず、出かけることもできなかったのは、確かに不自由。
でもなぜ自分はこんなに不自由だと感じていないんだろう。
最初に主の許に来てから一ヶ月半近くの間、私は主以外の人とまったく会話していなかった。
まだ首輪とカフをつけていることに慣れておらず、この姿を他人に見られることへの羞恥心と恐怖感が強過ぎて、外へ出たくなかった。その頃は自由も不自由もない。ただ全て怖くて仕方なかったから。
(ようやく慣れてきてから、初めて主の友人たちの集まる場所に連れて行ってもらった時には、緊張したな・・・。)
今まで敬語を強制されたこともなければ、言葉遣いを直されることもなく(主のスイッチが入っているときは別か^^;)跪くことを強制されたこともない。
人前で主のことをご主人さまとは呼ばない。主の意向でもあり、私も同じ考え方。このブログは私たちのものだから、主と呼ぶし書くけれど、それを外でひけらかす必要はまったくない。
だけど、主は恋人であると同時に絶対の主だ。
「僕の言うことが絶対。しおりはそういう世界に来たんだよ」と最初に言い渡されている。
自分が主の奴隷だと自覚していても、不自由を強制されているとは思っていなかった。
主に「自由じゃない」と言われて気がついた。
確かに、買い物に気軽に行かれないのは不自由。
けれど事前にPGかMatureか調べて、Matureなら目的地の地図を表示させて人のいない時を狙えば、問題なく行かれる。
最初の一ヶ月半の間はその方法を思いつけなかったから、どこにも行かれなかった。
今はそれに較べたら、ずいぶん自由だ。
主は、私が自分を奴隷だと受け入れられるようになってからは、そうして私が出歩くのを禁止しない。ただ、危険だから一人のときはRestrained...