2009年3月4日水曜日

桜の木の下で

低く垂れ込める雲。

迫り来る戦いの予感・・・。






090303_01.jpg









というのは、レースの次は釣り大会というオチです(w)
これなら低スペックの奴隷でも主に勝てるかも!と、奴隷しおりはひたすら修行の日々です。







090303_02.jpg







コンテストボードのテストを兼ねて二人きりで競ってみたら、これだけ仲の良い主と私でも、かなり殺伐とした空気が^^;
ウルトラレアを釣り上げまくる主に、私は「もう絶交です!」「家出します!」とぐずりまくったのでありました^^;











でも、一昨日^^


この所二人ともに仕事上でトラブルが多く、ストレスがたまっていたので。
少し元気な気持ちになろうと、主がテラスいっぱいにまだ早い桜を植えてくれました。







090303_03.jpg







春は出会いの季節でもあるけれど、別れの季節でもあり。

桜に幸せな思い出しかない人の方が少ないでしょう。
さくらという言葉には死者を司るという意味があるというのは、この前読んだ小説の中の一節。
桜の下に何が埋まっているのか、そんな話はいくらでもある。







090303_04.jpg








それでも私たちは毎年桜を待ちこがれ、今か今かと毎日枝を眺める。


咲く直前の桜の花は薄桃色ではなく、中まで深紅。
だけどそんなことを知らずに、春の優しい色に酔う。







090303_05.jpg








見慣れた庭に植えられた桜は、夢の様に美しく見えて。
主の王国が今は春の花で彩られたことが、とてもせつなくて。


狂おしいほど、こうして変わらず主のそばにいられることを感謝した。







主のそばで過ごす毎日を、今もこんなに瑞々しい幸福に感じる。
段々と慣れていくしあわせに、新しい想いと感謝がつけ加えられていく。





甘えきって。
その気持ちは、ただ私は主のためのものであるだけでいいという想いにつながって。


それが仕えるということなのか、服従するということなのか、
それは今も私にはわからないのだけれど。

もう多分、そんなことを言葉で定義する必要はないのだろう。





私のカラダの中にココロがあることを主は誰よりもよく知っていてくれるから、
それを私よりも主が大切にしてくれるから


だから主にだけは、私のココロもカラダも、全て預けよう。




私は主の奴隷で、玩具で、道具で






090303_06.jpg








・・・きっと誰よりもしあわせな、主の恋人。

0 コメント:

コメントを投稿