2008年10月21日火曜日

プレイではなく






プレイという言葉を、私たちは使わない。
最初から、一度も使ったことがないような気がする。


確かに、私たちがやっていることは、主が自分をMasterに、私をslaveにキャストしたロールプレイに見えるかも知れない。

だけど、私たちは単にサディストとマゾヒストのシンプルな恋愛をしているだけ。愛し方愛され方が主従という形、内容だというだけ。


主は、行為をするために私をここに呼び寄せたわけではない。
「プレイではなく、しおりは奴隷として暮らすんだよ」
その言葉どおり、行為の相手としての奴隷ではなく、主従ごっこの相手でもなく、自分の足許で愛されて暮らす女を、跪いていることで心が安らぐ女を、恋人であり奴隷として探していた。
それが嘘でないことは、私にはよくわかっている。










プレイという言葉に含まれる遊びのニュアンスが、どうしても自分たちの愛し方と一致しないから、その言葉を使わない。

主は私を遊びにはならない程追いつめる。
愛しているから壊したいという想いと、愛したい大切にしたいという想い。
その間で、心を研ぎ澄まして私の様子を探りながら、深く深く追いつめてくれる。

遊びではできないと思う。
心の奥底、やわらかく人目には触れさせない場所を探り、さらけ出させるのだから。
少しでも間違えれば、深く傷つけて、取り返しがつかなくなるようなことをしているのだから。
優しい心の中の凶暴な想いと欲望、もしも拒まれたら自分が傷つくような狂おしいほど真剣な願いを、私に差し出してくれるのだから。










私にしても同じ。

蔑まれ縛られ鞭打たれ吊られるために体をさしだすのは、プレイという言葉のニュアンスでは私にはできない。
その内のいくつかは実際には命に関わることだから。

SLというフィジカルな危険がない世界でそれを安全に受けられてしまうことには、今でもとまどいがある。
アバターだから平気というほど冷めてはいないということかも知れない。


行為に伴う苦痛、屈辱、無力感。
それを快楽に変えてしまうのがマゾヒストだけど、でも心には酷いことも多い。
だから私は、それに快楽を覚える自分が恐ろしいし、恥じる。
同時に、口に出すべきではない欲望だととらえている。

無力感は自己嫌悪と自虐に直結するし、それが実際に表れた時は、心の奥底のことだけに極端な行動に走りやすい。

・・・やっぱり、遊びでやることじゃない。










プレイを望む人を否定しているわけではない。
ここはSL。欲望すべて楽しめばいい。人の欲望は快楽だけではない。虐めたい虐められたい、汚したい汚されたい、堕としたい堕ちたい。色々な表れ方がある。
主も私も全て肯定する。人それぞれなのだから。

主従だけにこだわり、恋愛を一切入れない関係の実現も、ここではRLよりずっと容易いような気がする。
体だけ快楽だけを求める関係も。
それだけをシンプルに楽しむこともあれば、その中でかけがえのない人に出会えることもあるだろう。
震えるような心の交歓が起きることもあるだろう。
体は生身とアバターと二つあっても、心は一つしかないのだから。










最近、このブログの読者ですと言ってくださる方からの連絡をいただくことが多くなりました。
BDSMのカップルのブログのくせに、過激な写真は少ないというのに^^;
ただの変態同士(w)の恋愛日記を楽しみに読んでいると言ってくださる方がいてくださることを、主も私も幸せに思います。
心からお礼申し上げます。

色々とご相談をお受けすることも多いのですが、二人ともどちらかというと人見知りをするので(恥)お会いしたときに十分なお返事をすることができないこともあり、心苦しく思っております。

その代わりになるかわかりませんが・・・。

男性も女性も同じ。SもMも関係なく。
自分が何をうけとるかということよりも、相手をどう受け入れるか、相手に何をしてあげられるか。それこそに神経を研ぎ澄ますもののような気がします。
自分が何を欲しいのか見極めることが一番大切では・・・そう私たちは思うのです。

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